アパッチ野球軍考察ブログ

1971年〜72に放映のアニメ『アパッチ野球軍(原作:花登筐 漫画:梅本さちお 制作:東映動画)』について語るブログです。

強い女が活躍する物語、それがアパッチ野球軍

「女性が活躍する作品が無い。」

こういった問題提起をしばしば耳にします。

 

例えば、女性が主人公のアニメが無い。

戦隊の女性キャラは戦闘力の無い恋愛担当ばかり。

これらの批判は正直なところ的はずれな部分もあるのですが、強い女性像を求める視聴者は増えているようです。

 

女性が活躍する作品が無い、とは言い過ぎだと思います。

なぜなら1971年には既に「アパッチ野球軍」という、強い女性達の力で運命を切り開く作品があったからです。

 

 

 

 

スポ根における女性キャラに対し、皆さんはどういうイメージを持つでしょうか。

おそらく「マネージャー」だと思います。

練習の手伝いをしたり、ユニフォームの洗濯をしている姿を想像する方は少なくないでしょう。

そもそも女性キャラがほとんど登場しない作品もあるかもしれません。

 

アパッチ野球軍では、女子がマネージャーではなく選手として活躍します。

一番最初に野球部へ入部したのは女子生徒です。

ただの飾り物ではなく、立派な選手としてグラウンドに立ち、強敵を相手にしていました。

 

もちろん、野球の腕前で男子生徒に劣るのは否めません。

しかしながら彼女たちは、野球が上手いだけではどうしようもできなかった問題に対し、機転と勇気で解決する力を持っていました。

その事を「大根」と呼ばれる女子選手に焦点を当てて語ろうと思います。

 

 

 

大根は、お世辞にも美少女とは言えない女の子です。あだ名の由来も彼女の体型を揶揄したものでした。

頭も良くなく、野球を始めるまで周りからは馬鹿にされていました。

一方で、おおらかで優しい性格が魅力的な女の子でもあります。その証なのか、「ハッパ」という男子生徒から想いを寄せられている場面も見られます。

ギスギスとした雰囲気が漂う状況でも、彼女がやってくると何故か空気が穏やかになってしまう。そんなムードメーカーの女の子です。

 

アパッチ野球軍には天才的な能力を持つ選手たちがいました。

センターを務める「モンキー」

四番打者でキャッチャーを務める「材木」

そしてピッチャーの「網走」です。

3人はプロのスカウトの目に留まるほどの実力の持ち主でした。

 

そんな彼らがいたのに、アパッチ野球軍はなかなか勝利を掴むことができませんでした。

その理由の一つに、チームワークの不備が挙げられます。

特に網走という選手は周囲と打ち解けるのが苦手で、スタンドプレーに走りやすく、チームを度々ピンチに向かわせていました。

 

その弱点が顕著に現れるのが最終戦、QL学園との試合です。

QL学園は超強豪校。生まれて初めて立つ本格的な野球場に、スタンドには甲子園さながらの応援団。

その状況を前に網走は緊張を隠せませんでした。

絶対に負けられないという焦りからか、ヒットが出れば選手たちに八つ当たりをし、挙げ句の果にはエラーをした選手を足蹴にする始末。

それに対し反感を覚えた他の選手たちは、試合中にも関わらず網走の事を無視し始めます。

 

男子選手たちが険悪な雰囲気になる中、大根は純粋に勝利を目指して、ボールを追いかけていました。

QL学園の打者から放たれたホームラン性の打球。それを取ろうとする選手は誰もいません。

大根は懸命に走ります。スタンドはもう目の前という所まで走りついて、ボールに必死で飛びつきます。

彼女はフェンスに激突し、大怪我を負いながらも見事にボールをキャッチ。見事にQL学園側の攻撃を食い止めたのです。

 

彼女の勇気ある行動を見て、アパッチ野球軍はチームワークを取り戻します。

試合結果は、アパッチ野球軍の勝利。

得たものは勝利だけではありません。メンバー全員が対等に、野球を愛する仲間同士として友情を育む心も手に入れたのです。

 

 

 

女子選手が素晴らしい野球技術で活躍する物語のほうが痛快だと思う人もいるかもしれません。

しかしながら、私は野球が上手いだけでは「強さ」とは言えないと考えています。

 

アパッチ野球軍のテーマは、野球で勝つ事だけではありません。

勝つ以上に大切な事。それはルールを遵守し、チームワークを築く事です。

アパッチ野球軍における一番の「強さ」とは、ルールとチームワークを守れる立派な社会人であることなのです。

 

ピッチャーの網走は、野球の腕前で言えばトップクラスです。ところがチームワークという点では、最後の最後に追い詰められるまで身につける事ができませんでした。

大根は初めから他人を疑うことをせず、常に周りと協力して野球を楽しんでいました。

QL学園との試合でも、周囲のスタンドプレーが引き金となって大怪我をしたにも関わらず、誰を恨む事もありませんでした。それどころか、モンキーや網走を労り、応援する言葉をかけて退場していきます。

 

 

 

私が大根の事を「強い女」だと思うのは、周りに流されないこと、そして暴力を恐れないことです。

QL学園との試合中、周囲のチームメイト達は皆網走の行動に不満を持ち、彼に対する嫌がらせのようなプレーを始めます。

 

アパッチ野球軍の選手たちは、つい最近まで手のつけられない不良をやっていた少年ばかりです。

その争いに巻き込まれながら、純粋に野球を楽しみ続ける事が果たしてできるでしょうか。

私には自信がありません。周りに逆らうのが怖くて、嫌がらせに加担してしまうかもしれません。

 

ここで序盤の展開を思い出してみます。

序盤での彼らは、自分たちの属性というものに酷くこだわっていました。

つまり元々「村」に住んでいた人間か、それとも「ダム」の工事をきっかけに移住してきた人間なのか。

この二者は常に対立しており、人間関係は敵か味方かという事でのみ語られていました。そして、敵とみなされた人間は激しい迫害を受けます。

 

大根の行動は網走を味方し、他の選手に敵対すると見えなくもない行動です。今までの常識で考えれば、大根はチームの敵とみなされて、攻撃を受けたかもしれません。

 

大根は、そんな事は全く考えないのです。

ただ野球が好きだから、勝利を掴みたいから頑張るだけ。

そこに誰が敵で誰が味方か、という考えは一切ありません。

周囲から敵だと認定されて、酷い目に遭うかもしれないという恐怖を感じていないのです。

野球が好きだという思いを一筋に貫いた選手なのです。

 

 

 

野球アニメでありながら、勝利の数だけを強さの基準にしない事。私が「アパッチ野球軍」を好きな理由はそこにあります。

大根以外にも、自分の意志をしっかりと持ち、暴力に屈しない「強い女」がたくさん活躍しています。

創作において、新しい女性像が望まれる今、もう一度注目してみてはいかがでしょうか。

アパッチ野球軍 第2話「余国者は刺せ!」後編

アパッチ野球軍の舞台である「猪猿村」。

大規模なダム工事が行われているこの村では、元々の住民である「村」の人間と、工事をきっかけに住み着いた「飯場」の人間が激しく対立していました。

 

飯場】 https://kotobank.jp/word/%E9%A3%AF%E5%A0%B4%E5%88%B6%E5%BA%A6-118592

コトバンクより

 

その対立は子どもたちにも悪い影響を及ぼしています。

 

生徒たちを教室に集めた際、剛は異様な光景に気づきます。

「村」出身の生徒、「飯場」出身の生徒、そしてどちらにも属さない木こりたちの子供「山」の生徒と、所属するコミュニティごとにそれぞれ席を分けているのです。

 

自分の親達が対立しているのと同じく、彼ら子供たちもお互いを憎み合っていました。

 

そんな彼らが唯一、団結してみせるのは、剛の様な「余国者」を排除するときだけでした。

 

剛は猪猿塾の生徒達に囲まれて、暴行を受けそうになります。その時彼を救ったのは夕食の時間を告げる校長の声でした。

食事が唯一の楽しみであるこの過疎の村では、食事の時は何があっても休むというルールが出来ていたのです。生徒達は食事の合図と共に剛の前から去っていきます。

 

一見滑稽にも思える光景ですが、剛はこれを見て希望を見出します。彼らにもルールを守る精神がある。

 

野球もルール、そして日常社会もルールで成り立っています。剛はそこに、彼らを立派な社会人として旅立たせるための糸口を掴みました。

アパッチ野球軍 第2話「余国者は刺せ!」前編

「余国者」は「ヨソモノ」と読みます。なんとも不穏なタイトルです。この回ではヨソモノとして猪猿村にやってきた剛が様々な嫌がらせに遭う様子が描かれています。

 

もっとも、彼らがヨソモノを嫌う正当な理由もあります。それはダム工事の存在です。ダム工事の開始とともに作業員らが家族を連れてぞろぞろと村にやってきました。

当時の肉体労働者は決まった住所も持たず、また脛に傷持つ人という側面もあったそうです。その代表格が「網走」の一家でしょう。網走というあだ名で呼ばれる作業員の息子は、かつて殺人を犯し、網走刑務所に収監された過去がある父親を持っています。

そのような人間たちが大挙したせいで、この村の治安は非常に悪くなってしまった――村人はそう考えています。

 

ダム工事の労働者の言い分もあります。ヨソモノを嫌う村人は、村で起きたトラブルを何でもダムの人間のせいだと決めつけ、犯罪者のレッテルを貼っているのだと。

この両者は深く対立しています。

そこに剛が来た事でまた、村に争いの火種が生まれてしまいました。

 

さらに大人たちの対立は、子どもたちの人間関係にも悪い影響を及ぼしています。それを後編で見ていきましょう。

(後編へ)

 

「作品の歴史的価値を重視し、現存する原版のとおり収録してあります」という言葉にどれだけの信憑性があるのか

私はアパッチ野球軍のDVDを元に考察を行っています。生まれる前の作品であり、残念ながら本放送を見ることはできませんでした。

このDVDは、アパッチ野球軍唯一の映像ソフトです。

過激な描写や台詞が多いとされているこの作品において、DVDの冒頭では

「作品の歴史的価値を重視し、現存する原版のとおり収録してあります」

という旨のテロップが流れます。

 

繰り返しの主張になりますが、

「過激な差別的表現で放送禁止になったという事実はあり得ない」

と感じました。台詞の中には「めくら」「土方」など今では使われなくなった言葉もありますが、製作時の1970年代という時代では一般用語の範囲内でした。

実際には再放送が頻繁にされていたという事実もあります。作品自体の存在が封印されたという話には根拠がありません。

 

ところが最近「作品の歴史的価値を重視し、現存する原版のとおり収録してあります」という前置きをどれだけ信じていいのか、と思わせる事件がありました。

 

ドラゴンボールZBlu-rayソフトにおいて、中指を立てて挑発する表現がデジタル修正された問題 https://togetter.com/li/1298872

 

ドラゴンボール復刻版、中指立てた描写カット 「原版のとおり収録」と説明していたが... | ニコニコニュース https://news.nicovideo.jp/watch/nw4698622

 

鳥山明原作の人気アニメ「ドラゴンボールZ」において、中指を立てて挑発するシーンがカットされた問題です。

「作品の歴史的価値を重視し、現存する原版のとおり収録してあります」という注意書きがあったにもかかわらず、実際には修正がなされていました。

そしてドラゴンボールZの他にも、同様の修正がされたアニメがあるということでした。

 

この事は、映像ソフトの資料性に疑問符がつく出来事となりました。私はアパッチ野球軍は本当に放送できない内容だらけのアニメなのか、という事を知りたくてDVDを視聴していました。

ところが「作品の歴史的価値を重視し、現存する原版のとおり収録してあります」という注意書きがありながら実際は修正がされている、という事例が複数あるならば、私が見たDVDと本放送の内容が異なっている可能性もあります。

つまり私が主張していた「封印作品にされるほどの差別的な表現は無い」という説に根拠が無くなります。

(仮に私が知らない差別的表現が使われていたとしても、アパッチ野球軍は再評価されるべき作品という考えは変わりません。差別や偏見に打ち勝ち、荒んだ子どもたちの心に夢を与えるという作品だからです。)

 

アニメやその他の表現物は鑑賞して楽しいのはもちろん、研究の対象でもあります。

仮に「日本のアニメにおける侮蔑的表現の研究」という事をしている人がいたとします。そのときに「作品の歴史的価値を重視し、現存する原版のとおり収録してあります」という文言がありながら、実際は修正だらけというソフトが蔓延していたらどうなるでしょうか。それは研究が大きく頓挫することを意味します。

また過去の作品をソフト化するに当たり、差別的表現を断りなく一切排除したらどうなるでしょうか。それは過去に謂れのない差別に苦しんだ人たちの存在を消すことにもなります。

「差別も侮蔑も一切存在しなかった世界(日本)」が大昔から存在している事になります。それは真実でしょうか。

 

今回の事例は「作品の歴史的価値を重視し、現存する原版のとおり収録してあります」という文言の信憑性を失わせる事になりました。その点で表現規制が問題になるケースでも、特に悪質な例であると感じます。

アパッチ野球軍を見ることができる場所

アパッチ野球軍はDVDが限定生産だった為に価格が高騰しています。漫画版は連載されたすべての回を単行本化することが叶わず、打ち切りで最終回が改変された事と相まってまさに幻の作品です。

なるべく費用を抑えて鑑賞するには、図書館を使う手があります。

 

DVDについては、国会図書館に収蔵されています。

漫画単行本はオンデマンド等で比較的容易に手に入りますが、先程書いたように未収録話がかなりあります。すべての話を確認するには、当時刊行の少年キングを一冊ずつ読まなくてはなりません。こちらは東京都立多摩図書館に蔵書が豊富だそうです。

 

小耳に挟んだ話では、DVDの海賊版が一部で出回っているそうです。Web上の違法アップロード動画を焼き直しただけの粗悪なものです。購入の際は、正規品であるかどうかを確認したほうが良いと思います。

アパッチ野球軍 第1話「傷だらけのエース」

アパッチ野球軍の第1話は、主人公堂島剛(たけし)の不幸な過去を語ることから始まります。

剛は優秀な投手でした。

高校時代はスイッチピッチャー(左右両投げのこと)を武器に活躍。甲子園決勝で完全試合を達成するという前代未聞の記録を打ち立てます。

 

しかしプロ入団の契約金に目が眩んだ剛の父親は半ば「身売り」と言える行動をし、絶望した剛は自ら利き腕を不具にします。

 

「さらなる不幸」と書いたのは、剛がこれまでにも父親のせいで数々の不幸を味わって来たからです。その詳細は剛の高校時代を描いた作品「エースの条件」に記されています。

原作はアパッチ野球軍と同じ花登筐。

この作品は「ドカベン」「野球狂の詩」などで知られる水島新司が初めて本格的に描いた野球漫画だそうです。

 

 

アパッチ野球軍の第1話でわかるのは、子供というものの弱さです。

剛は人並み外れた才能と、大人にもまさる志の高さを持った少年でした。それらはたった一人のろくでなしの父親のせいで台無しにされます。

剛の不幸なエピソードは、子ども自身に強い意志や才能があっても大人の前では無力である、という事を表しています。

 

その事を知った上でアパッチ村――剛が赴任する「猪猿村」の子ども達を見ると感想が変わります。

猪猿村の子ども達は犯罪者予備軍とでも言うべく、素行の悪いものばかりです。それは、果たして子どもたち自身のみの責任なのでしょうか。

剛のように立派な若者でも、ただ一人の肉親のために人生を壊されています。猪猿村の子どもたちの周りには誰ひとりとして、彼らの将来を思いやる大人がいませんでした。

 

彼らの周りには目標とすべき立派な大人もいません。「真面目」がどういう事なのか。「正しく生きる」というのはどういう事なのか。彼ら自身が想像する機会が全く閉ざされています。

その中で彼らに対し、自らの力だけで更生するように説いても、無理難題というほかありません。

 

彼らの身の上を唯一案じていたのは、彼らが通う学校「猪猿塾」の岩城(がんじょう)校長のみです。その校長に乞われて、剛はこの村にやってきたのでした。

今まで品行方正に生きてきた剛には、彼らがなぜここまで荒れているのか想像できないのかもしれません。そのため第1話での剛はやや猪猿村の全てに対して冷淡です。

 

この物語は熱血教師が不良少年たちを導いていくというよりは、まだ未熟さの残る主人公が少年たちの交流を経て成長していく物語として見ることができます。

閉鎖的な村の荒んだ暮らしが変わる第一歩が今踏み出されたところです。

 

アパッチ野球軍第1話『傷だらけのエース』

主な登場人物

堂島剛(cv.野田圭一

剛の父(cv.永井一郎

岩城校長(cv.富田耕生

岩城千恵子(cv.坪井章子)

ハッパ(cv.田中亮一

材木(cv.北川国彦)

 

放送禁止説について

アパッチ野球軍は放送禁止作品である、という説についての考えをまとめます。

 

現状

地上波、CS、ネット配信等、現時点では放送されていないようです。それが放送禁止という処置によるものなのかどうかを知ることもできません。

放送禁止という処置は裁量に任せられた自主規制です。公権力が何か一律に基準を定めているわけではありません。

現時点での放送が無い理由について、視聴者や特定団体のクレームがあるなどの事実も確認できていません。

 

過去の放映状況

本放送が最終回まで流されたのはもちろん、再放送も2000年代まで比較的多くされていたそうです。以前にTwitterを検索したところ、再放送からファンになった人もいます。

地上波の再放送時には台詞にかなり修正がかかっていたそうです。それが放送禁止説の発端かもしれません。

一方CS(東映チャンネル)では修正は無かった様子です。

 

実際になされた規制

上記のように再放送時に台詞の修正(いわゆるピー音)がされていました。

またアパッチ野球軍が連載されていた「少年キング」の編集関係者の方の話によると、作中の「部落」という用語にクレームが付き、そのまま打ち切りになってしまったそうです。

 

私見

現代だからこそ再び世に出すべき作品だと思っています。

この作品は差別的な表現があるから規制されたと思われがちです。本来の主張は全くの逆で、あらゆる差別に反対する事を訴えています。

差別に反対する物語を描くには差別されている側の人間を描かなくてはなりません。貧しいもの、蔑まれる職業のもの、親が前科者であるもの、そして親がいないもの。

これらのものを描いた結果表現が差別的であると言われるのなら、差別に反対する物語はもう作れなくなります。今もなお理由の無い偏見に苦しんでいる人々はいるのに、それを存在しない事にした綺麗な物語だけが溢れることになります。

 

職業差別に通じるという理由で長年放送禁止とされていた「ヨイトマケの唄」もテレビで流れるようになり、名曲として認知されるようになりました。○○という用語が出てくるからアウト、と言う考えはもはや時代遅れに思います。

 

重苦しいテーマがひしめく作品だと思われそうですが、アパッチ野球軍とは

「田舎の子どもたちが楽しく野球をするお話」

これにつきます。第一印象からは全く想像できないほのぼの路線スポ根野球アニメ、ぜひたくさんの人が楽しめるようになって欲しいです。

 

 

【2019/03/05追記】

無修正のまま収録していると表記してあるDVDの中にも、実は修正や加工がなされている事があるそうです。

詳しくは次の記事をご覧ください。

「作品の歴史的価値を重視し、現存する原版のとおり収録してあります」という言葉にどれだけの信憑性があるのか - アパッチ野球軍考察ブログ