アパッチ野球軍考察ブログ

1971年〜72に放映のアニメ『アパッチ野球軍(原作:花登筐 漫画:梅本さちお 制作:東映動画)』について語るブログです。

アパッチ野球軍は屑鉄を盗んだのか

アパッチ野球軍の『アパッチ』とは、アメリカインディアンではなく鉄屑泥棒を意味している、という説を最近耳にしました。

話の出処はWikipediaのようです。

 

なお、表題の「アパッチ」はアメリカ・インディアン部族としてのアパッチ族の意味ではなく、終戦直後に大阪陸軍造兵廠跡地から屑鉄を掘り出していた生活者集団を意味する[要出典]。小松左京SF小説『日本アパッチ族』や開高健の小説『日本三文オペラ』も、これら生活者集団をモデルとしている[1]。

(2021/01/18現在 Wikipediaアパッチ野球軍』)


アパッチ野球軍 - Wikipedia

 

Wikipediaにはこの説の参考文献として、米沢嘉博『戦後野球マンガ史 手塚治虫のいない風景』(平凡社新書、2002年)が挙げられています。

実際に購入し検証を行いました。

 

 

著者の米沢氏は「アパッチ」についてこのように語っています。

 

 ここでいうアパッチとは、インディアン(ネイティブ•アメリカン)の部族のことではなく、終戦直後の大阪造兵廠跡地から屑鉄を掘り出して暮らしていた、たくましい生活者集団の意味だ。開高健の『日本三文オペラ』や小松左京の『日本アパッチ族』のモデルになったことでも有名である。

アパッチ野球軍」もそうしたたくましい浮浪児たちのような、疎外された子供たちによるチームだ。

(米沢, 2002, p.127)

 

米沢氏の「アパッチ」への解釈には首を傾げざるを得ません。

私も「日本アパッチ族」を読んだことはありますから、アパッチが屑鉄窃盗集団を指した歴史があった事実は知っています。

 

しかしながら、アパッチ野球軍の作中では登場人物が屑鉄を盗んで生計を立てているシーンなど描かれていません。

彼らの家庭がどのように生計を立てていたのかも明確に描かれています。村にもともと住んでいた農家か、山の木こりか、あとから村にやってきたダム工事作業員です。親の職業はこの作品内で重要な意味をなしており、それを無視するとストーリーが成り立たなくなります。

舞台も愛媛県の道後地方です。大阪ではありません。

 

更に、「アパッチ野球軍」のチーム名は、村長達の迫害に遭っている野球部員の姿を、貧しいながらも侵略者と勇敢に戦ったインディアンに擬えて命名したと作中で明言されています。

(アニメ版第14話「新チーム誕生」)

 

漫画版で披露されたユニフォームでは、背番号の代わりにインディアンの横顔があしらわれています。


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(週刊少年キング,1972年5月28日号,p.176)

 

※2021/02/09追記

 

アパッチ野球軍の単行本第1巻では、「アパッチ」の由来が当時のインディアンやアフリカに対する偏見とともに語られています。

 


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アパッチ野球軍第1巻, 2005年7月31日発行オンデマンド版,p.32)

※追記ここまで

 

ここまで「アパッチ=インディアン」の意味付けが前面に押し出されたのに、なぜ米沢氏は屑鉄窃盗集団の意味と解釈したのでしょうか。

 

そもそも、米沢氏はアパッチ野球軍の内容をさほど知らない可能性が高いです。

 

身障者も含めた、ユニークな個性を持つはぐれ者たちが、野球の旗の下に集まり、

 

(米沢, 2002, p.128)

 

アパッチ野球軍の中に「身障者」に該当する選手はいません。

障害者が活躍する同世代の野球マンガですぐ思いつくのは「男どアホウ甲子園」の丹波 左文字あたりですが、その辺と混同しているのではないでしょうか?

 

 

以上より、アパッチ野球軍の由来は屑鉄窃盗集団の「アパッチ」だとする説は、根拠がないものといえます。